第五回
  第一の習慣「主体性を発揮する」
  その1.「刺激と反応」編
企 画 社団法人千葉県臨床検査技師会
協 力
株式会社リクルートマネジメントソリューションズ
HRDソリューションBU コヴィーグループ

第一の習慣「主体性を発揮する」は「7つの習慣」の全てを支える習慣です。今回と次回の2回シリーズでご紹介します。

まずは、“主体性”と“反応性”の定義を明確にしておきます。
「主体性とは、どのような状況に置かれても、自分の価値観に基づいて反応を選択する力」
「反応性とは、その時の状況や感情に基づいて反応すること」
第一の習慣「主体性を発揮する」   その1.「刺激と反応」編

私たちは毎日毎日、いろいろな刺激を受けています。刺激が襲ってくる、と言っていいくらいに、これでもか、これでもかと容赦なく刺激はやってきます。お天気ひとつとってもそれは刺激かもしれません。“今日は、天気が悪いからなんとなく気分がのらない”こういう人は天気が刺激となり、その状態に反応しているわけです。

そしてこういうことありませんか?“さっきの上司の(部下の…、○○の…)ひと言、気に入らない、まったく腹立つよ”その刺激は上司のひと言、そして反応は腹を立てている状態。でも、ぐずついた天気で気分がのらないのも、上司のひと言にカチンときて腹立っているのも、だれのせいでもない、自分自身がそうしているのです。

私たちは刺激の奴隷にならなくていいのです。
「7つの習慣」の著者コヴィー博士は次のように言っています。『他人の行動が私達を傷付けるのではない。それに対してどう反応するかが私達を傷付けるのである。』と・・・。

そうは言っても、悲しいかな、刺激に対して反応的になりがちです、感情の生き物、人間ですから。

さて、ここで心理学を専攻した方、あるいは興味をお持ちの方いらっしゃいますか?医療関係の皆さんですから、ロシアの生理学者でパブロフの犬の実験を知っている方は多いことでしょう。古典的条件付け(S−R理論)を説明する時に良く引用される学習理論です。この実験は犬に対してメトロローム(鐘)を鳴らし、その後に肉片を見せる、すると犬はよだれを流す。鐘?肉?よだれ、鐘?肉?よだれ、そんな実験を何度も何度も繰り返した後、肉を見せなくても鐘を鳴らすだけで犬はよだれを流す、と言う条件反射の実験です。パブロフは犬に限らず、ウサギなどにも同じような実験を行いました。そして全ての動物は刺激に対して直ぐに反応すると唱え、それはヒトにおいても同じだと発表したのでした。さらにオペラント条件付け理論を打ち出し、現代心理学に大きな影響を与えたアメリカの心理学者スキナーも同じでした。行動の機械的側面を強調し、人間が意志をもった自立的存在であるとの見地を否定する人間観を示し、行動を予測し制御する際には自立的人間という概念は何の役にも立たないとまで主張しました。

しかし、我々人間は違う!と新たな学説を提唱したのが「夜と霧」の著者、オーストリアの精神科医ヴィクター・フランクルでした。

ユダヤ人である彼は第二次世界大戦の時、ダッハウというアウシュビッツ収容所に入れられてしまいました。彼の妹以外の家族全員が収容所のガス室で殺されてしまいました。彼自身も独房に入れられ、麻酔無しで身体にメスを入れられ人体実験をされたのです。この時、想像を絶する恐ろしい刺激が彼を襲ったのです。普通に考えれば、ユダヤ人というだけで家族の殆どが殺され、自分も手足を縛られ人体実験の材料にされている、怨むどころか気が狂ってしまうでしょう。しかし、彼は違ったのです。メスを入れてくるドイツ人を憎むことも出来たのに、その時彼はこう考えたのです。私の身体にメスを入れてくるドイツ兵達は、やりたくてやっているのではない、上官の命令に従っているだけだ、従わなければ彼等自身が痛いめに遭うのだろう。そして彼は次のように考えたのです。私の身体にメスを入れて傷つけることは出来ても、私自身の心には誰一人としてメスを入れることは出来ない、と。どんな刺激がやってきても、それにどう反応するかは私自身が決められるのだ、と。その後、彼は無事生還し“人間には動物と違って、刺激と反応の間には反応を選択する自覚、想像力、良心、自由意思が存在している”、と学会にて発表しました。
図:刺激と反応

ここで、日常ありがちな実例をご紹介します。
私的内容で恐縮ですが、私自身の“刺激と反応”、実際に起きた(犯した?)体験談をご紹介します。
数年前の夏休み9連休の出来事です。

夏休み初日、主人は仕事で出張中。でも私の9連休にあわせて彼も休暇を取ってくれると、数ヶ月前から約束してくれていました。しかし彼は帰宅せず。2日目、彼から電話一本アリ、今日も帰れないと…。つまり帰宅せず。3日目、またまた帰宅せず。真夏の折、彼の仕事は超繁忙期。肉体的にも精神的にも辛いのは彼なのだから、我慢、我慢。4日目の午前、ひとり家で待ち続ける自分が惨めで、タンクトップと麦藁帽子姿でチャリンコに乗り、近所のスーパーまでバーゲン品をあさりに行く。物を買って気を紛らそうとする私。それにしてもお休みは…、あと5日しかない。いい加減今日は家に帰って来てくれるだろう、そして明日からは楽しい二人の休日!何処に行こうかな、ショッピング、あるいはドライブもいいかも。。。と、期待に胸は膨らむばかり!

夕方5時、4日ぶりに彼は自宅の玄関に立ってくれた。「おっかえりぃ〜なさ〜い!、もうお休みだよね!ねっ」「ごめん、また出掛けなきゃ、今すぐに、これから琵琶湖に行かなきゃ…」玄関で私は棒立ち。キレてしまいました。涙が一気に溢れ、そして殴ってしまいました、平手打ちで、彼の左頬を…。
彼は何も言わずにシャワーを浴び、着替え、再び仕事へ、琵琶湖に出掛けていきました。家に一人置き去りにされた私は、随分と泣き続けてました。何ででしょうか?おそらくずーっと前から楽しみにしていた夏休み、自分の思い通りにならなくて、悲しくて、悔しくて。でも次第に心にスペースが出来てくると、彼に初めて手をあげてしまった自分が情けなくなり、後悔し、傍らのネコ3匹もニャオ〜ンと…。
あの時、殴るほどの私を襲った刺激は、彼の言葉「ごめん、また出掛けなきゃ、今すぐに」でした。その刺激に対し、少しでも心の筋肉を使いスペースを空ければ「疲れているのに、またお仕事?大変ね、身体が心配、大丈夫なの」と、彼をいたわることが出来たかもしれません。
そして夏休みの後半、それは9連休の残りのたった2日でしたが、ようやく叶った二人の夏休み。彼は普段通りでした。私はと言えば“心ウキウキ”だったのを今でも鮮明に覚えています。
でも私からの平手打ちに対して、彼は凄い筋肉を使って心にスペースを空けたのでしょうか?あるいは超鈍感なのでしょうか?未だに不可解です。それにしても私の右手はあの時、とっても痛かった。

刺激が自分にやってきた際に、心にスペースを空けて自覚、想像力、良心、自由意志の4つを主体的に活用して反応を選択することが主体性を発揮している人です。

平手打ちをしたときの私を振返ると、自由意志だけが働いていたのかもしれません。

この原稿を書いている今日はG/Wでお休み中の私です。相変わらず主人はお仕事です。でも、心に十分なスペースを取っているので、今回は大丈夫です(^o^)/~~

  -------この内容は、フランクリン・コヴィー・ジャパン「7つの習慣」トレーニングプログラムに基づいて表現しています-------


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